おやつの時間

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梅雨空が続いていた何年か前の昼下がり、当時住んでいた稲毛駅前の

多田屋という本屋に、今では文庫本になっている谷川俊太郎の「詩っ

てなんだろう」が置かれていました。正確に言うと置かれてから半年
が過ぎていました。初めて見たときに積み重ねられていた十冊の本が
九冊減り、最後のあと一冊が静かにおしくら饅頭のような本棚で肩を
すぼめて新しい出会いを待っていました。

ということは、九人のひとがこの殺風景な町のどこかで詩人と仲良く
暮らしているのです。ひょっとしたら昨日バス停に立っていたサラリ
ーマンの紳士かもしれない。それとも夕方ごった返す駅ビルのスーパ
ーマーケットで大根とセロリを抱えてレジ待ちをしていたあのおばさ
んかも知れない。白いルーズソックスをはいた女子高校生が薄っぺら
い鞄の中に密かに忍ばせているかも知れない。自転車の盗難を届けた
交番のお巡りさんが毎朝コーヒーを飲みながら読んでいるかも知れな
い。

ほんのか、たった少しか知らないけれど、九人のひとがこの退屈な街
に住んでいて、詩人と一緒に不思議なことと驚くようなことを取り上
げて、隙間だらけの街並みに埋め込もうとしています。なんだか毎日
すれ違うひとりひとりのひとと出会うのが楽しくなってきてしまいま
す。そんなことを考えながら新聞を見ていたら曇り空の隙間から陽が
さしてきました。そろそろ昼食に焼飯でも食べましょう。焼飯には玉
葱をたくさん入れましょう、ひとに涙を流させるくせに甘味のある妙
な食べ物をひとつかみ。いつもお肉と人参に主役の座を奪われる玉葱
を丁寧に炒めましょう。

† ‡ †

おやつの時間は誰でも待ちどおしい。やさしい母さんが作ってくれるド
ーナッツが僕の大好物で、外側にくっついている白い砂糖をぺろぺろと
すっかり舐めつくした後、もう一回砂糖をまぶしてと母さんにねだるの
でした。僕が甘いものしか知らなかった頃の僕の母さんは、いつも白い
割烹着を身につけていて、僕はその白い割烹着が母さんの制服だとばか
り思っていました。そのころの母さんは、今の僕よりずっと若かったの
に、僕は今、その頃の母さんよりずっと幼いままで、母さんがしていた
ことの何ひとつ、上手に出来ないでいます。こもりうたのひとつも満足
に自分の子供に聞かせられなくて、僕の子供達は何を聞きながら大きく
なっていったのだろうと考え込んでしまいます。母さんが僕の耳元で歌
ってくれたお昼寝のこもりうたは、どんな高級な音楽よりも僕を落ち着
かせてくれました。結婚が決まったあとすぐに戦争の為に南方に出向い
ていった父さんをひたすら待ち続けて、若い日々の長い毎日をどうして
何を思いながら待ち続けたのでしょう。その日々の悲しい想いを一言も
語らず目を細めながらおやつの時間にドーナッツを揚げてくれた母さん
に、今夜、こもりうたを聞かせましょう。このこもりうたが重い荷物を
降ろして空を見上げる旅人のように、母さんが長い旅へと向かう次の一
歩への束の間の安らぎになって欲しいと願うのです。

† ‡ †

いつも仕事の昼休みに立ち寄る空港の本屋さんに谷川俊太郎さんの新し
い詩集がありました。旅人が旅に出る前に手にする本が詩集なら、旅す
るひとは悲しい思い出を誰かにあずけることが出来そうです。旅に出る
前に手にした本が詩集なら、旅するひとの鞄には友達の笑顔がたくさん
潜んでいそうです。旅に出る前に手にする本がただひとつの詩集なら、
旅するひとは明るい唄を口ずさめることが出来そうです。旅に出る前に
小さな書店に立ち寄って一冊の詩集を手にできる、そんな旅がいつもあ
ればいいのに、そんなひとが多くいればいいのに、そんな旅立ちのある
国でいられることができればいいのにと思います。旅の途中で困ったこ
とが生じたら、詩人に尋ねるのが一番です。詩人の言葉にはみんなが知
りたいと考えていることが全てつまっています。実はそれは文字を追い
かけるあなたがあなた自身に既に答えているからです。何処へ行くにも、
誰と行くにも、いつ行くにしても詩集を携える旅が出来るといいですね。
旅先でもおやつの時間には、熱いお茶を喫するひとときを必ず持つこと
です。そうすることで、一冊の詩集のように、旅があなたの手のひらの
中で、物語を作りだします。

それは、まだ誰も知らないあなたが見つけた、あなたがあなたのために
作る物語です。

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